三大江戸蕎麦「砂場」の起源

「砂場」という屋号の起源は、豊臣秀吉の時代まで遡ります。大坂城建設時に、和泉屋という菓子屋が資材の砂置き場に蕎麦屋を開店したことに由来するとされています。その後、徳川家が天下を統一した際、江戸(東京)に下り「大坂屋砂場」の営業がはじまり、今日の伝統と由緒ある三大江戸蕎麦のひとつである「砂場」の歴史がはじまりました。

虎ノ門大坂屋 砂場の歴史

1872年(明治5年)に、砂場本家「糀谷七丁目砂場藤吉」の暖簾分けにより、稲垣よそ(初代)とその夫である稲垣音次郎(二代目)から「虎ノ門大坂屋砂場」の歴史は始まります。創業の際に旧大名家「阿部家」の敷地の一部を譲り受けるなど、初代よそは武家との親交が厚く、幕末の三舟と呼ばれる山岡鉄舟、高橋泥舟、勝海舟にも贔屓にされていました。そのことを物語る山岡鉄舟が贈ったとされる書が今も店内に残されています。

守っていく歴史と伝統

稲垣家の家憲には「一、人に貸すことなかれ。一、人に借りることなかれ。一、唯一心に勤め励美て家門を思ふべし。」と記されています。貸し借りをすることなく、伝統を重んじ、真摯に仕事に臨む姿勢は、創業から続く「虎ノ門大坂屋砂場」の原点です。4代目稲垣勝俊の時代には、自らが会長となり、砂場の歴史を守っていく「砂場会」を結成し、「砂場」「すなば」「す奈ば」「寿那ば」「寿奈ば」が商標登録されました。その後も5代目稲垣隆一が会長を務めました。現在、6代目稲垣隆俊が店主として「砂場」の伝統を守る役割を担っています。

古き良き時代の面影を残す空間

虎ノ門大坂屋砂場の店舗は1923年(大正12年)に建てられたものです。戦時中の空襲被害を免れ、関東大震災や東日本大震災などの災害にも耐え、今もなお大正時代の面影を残すノスタルジックな雰囲気を味わうことができます。現在、建物は登録有形文化財にも指定されています。長年通う常連さん、近隣で働く会社員、最近では若い方や外国人の方まで幅広いお客様が、伝統の味と歴史を感じる空間をゆっくりと楽しまれています。